ロックの生誕を知れば、ロックはもっと深まる!
ギター大好き~ミチヒサだよ!
今日は、ロックの起源について。
(このページは “音楽ロック編:Vol.3” になります)
・ロックは、どのように広がったの?
などなど…。
ロックは、聴いてカッコ良ければ歴史なんて関係ない!と、思う人もいて当然だろう。私も、それは否定しない。
しかし、ロックは時代と共に進化していった。音楽ロック編:Vol.2でも話したけど、ロックは音楽業界への貢献度が高い!だからこそ、ロックの歴史を知って欲しい。
周りに教えてくれる人がいない?大丈夫だよ。だって…。
ここでは、私があなたの友達!
ロックは、一人の男によって普及した!
ロックは、どのようにして生まれ、どのように発展していったのか?色々な説があるが、ロックン・ロールの父と呼ばれているのが…。
アラン・フリード!
ロックの歴史を語るとき、必ず登場する人物だ。本名アルバート・ジェームズ・フリードは、1921年ペンシルベニア州ジョンズタウン生まれ。
ロックン・ロールを普及させるために、様々な活動を行ってきた。1986年にロックの殿堂に、非演奏者部門で殿堂入りしていることからも、その功績が認められているということだ。
ロックン・ロールの誕生!
アラン・フリードは、ジャズ・バンドでトロンボーンを演奏していた。しかし、耳を悪くしてバンド活動を諦めた。
オハイオ州立大学中に、ラジオのディスク・ジョッキーに興味を持つ。
第二次世界大戦中は、軍のラジオ局で働くことになる。兵役後は、ペンシルベニア州ニューキャッスルのラジオ局に入社。
1945年には、オハイオ州アクロンのラジオ局WAKRでディスク・ジョッキーを務めるようになる。
ここで、チャック・ベリーやリトル・リチャードといった、黒人ミュージシャンのリズム&ブルースを積極的にオン・エアー。
その音楽を、ロックン・ロールと呼んでアメリカ白人の若者に向けて紹介。彼は黒人音楽を、白人向けの番組でオン・エアーした最初の白人ディスク・ジョッキーとなった。
アラン・フリードの番組は人気があったので、ロックン・ロールは一気に人気を得ることになった。
全米各地で、ダンス・パーティやコンサートの開催。更に、映画にも出演することで、ロックン・ロールを普及していった。
ロックン・ロールの人気に比例するように、白人と黒人の若者の間でカリスマ的存在になっていった。
コンサートを開催すれば、チケットは1日で完売。1万人収容のホールには、約3万人のファンが押し寄せる。
人種を問わず、アラン・フリードは受け入れられた。
しかし、規模が大きくなるにつれ、アラン・フリードに圧力をかける人たちが現れるようになる。所謂…。
白人至上主義の人たち!
彼らは、黒人の音楽が流行るのを嫌った。様々な手を使って、コンサートや番組を中止に追い込んでいく。
ペイオラ・スキャンダルにも巻き込まれ、実刑判決を受けることになる。かつてのような仕事もできず、多額の負債を抱え、アルコールに依存するようになる。
その後、アラン・フリードは43歳という若さで亡くなった。
ロックン・ロールとは、ジャンルではなかった!
アラン・フリードが、ラジオでロックン・ロールと呼んだのは事実だが、実は元々有った言葉だった。
ロックン・ロールとは、黒人が使うスラング!
楽しい時間を過ごそう!パーティをしよう!等に使われる。
ロックン・ロールという言葉は、リズム&ブルースの歌詞にも使われていることから、この種の音楽をロックン・ロールと呼んでいた。
馴染みが無かった白人には、ロックン・ロールいう響きが、カッコ良く聞こえたみたいだね。
まんまと、アラン・フリードにしてやられた!と言ったところだろう。
最初のロック・スターは?
アラン・フリードが紹介したのが、最初のロック・ミュージシャンと考えると…。1986年1月23日に、初のロックの殿堂で殿堂入りした人物になるだろう。
チャック・ベリー:ロック界の伝説!と呼ばれ、ロック界初期の、ギター・ヒーローだ。
リトル・リチャード:ロックン・ロールの、草分け的なシンガー・ソングライターだ。
ファッツ・ドミノ:当時、アメリカで最も売れた黒人歌手&ピアニスト。
レイ・チャールズ:ソウル・ミュージックの著名歌手でもある、シンガー・ソングライター&ピアニスト。
初回のロックの殿堂入りは、エルヴィス・プレスリー、ジェームズ・ブラウン、サム・クック、バディ・ホリー等がいる。
ロカビリーの誕生!
最初のロックン・ロールは、黒人のリズム&ブルースだった。黒人の大衆音楽だった音楽は、アラン・フリードによって白人に受け入れるようになった。
その後、カントリー・ミュージックの要素を強めたロカビリーが生まれる。
当時、深刻な人種問題を抱えていたアメリカ。黒人音楽と白人音楽の融合は、画期的だった。そのロカビリーの象徴と言えば…。
エルビス・プレスリー!
音楽を聞かなかった若者たちが、エルビス・プレスリーを聴くようになった。女性にも受け入れられたこともあり、ロックはメジャーな音楽となっていく。
彼の勇姿や歌を聴きたいがために、テレビやレコード・プレーヤーが売れるようになったのも事実。
人気を得ると同時に、ロックは不良の音楽!という、レッテルを貼られるようになったが…。
エルビス・プレスリーは、アメリカのみならず、イギリスの若者たちも熱狂させた。
史上最も成功したソロ・アーティスト!として、ギネス記録にも認定されている。
エレクトリック・ギターは、ロックの象徴!
ロックン・ロールやロカビリーに欠かせないのが、エレクトリック・ギター。時代が進むにつれ、より過激なサウンドを求められるようになった。
当時を代表するギタリストを紹介しよう。
エディ・コクラン:自身も多くの楽曲をリリースしているが、セッション・ギタリストとして参加した数は膨大な量になる。
映画のサウンド・トラックにも、彼の名前を多く見つけることができる。
名曲はたくさんあるが、ロック・ファンなら「サマータイム・ブルース」「カモン・エヴリバディ」かな~。
バディ・ホリー:当時はビッグ・バンドが当たり前だったが、ギター×2・ベース・ドラムという4人編成の基本形を作り出した。
更に、最初のシンガー・ソングライターとも呼ばれている。
イギリスでは、エルビス・プレスリーと同じくらいの人気があった。ストラト・キャスターと言えば、バディ・ホリーだ!
ロックは、アーティストと共に消えていった!
この流れのまま、ロックは大きくなったわけではない。
1950年代に生まれ、黒人・白人を虜にしたロックは、徐々に衰退していくことになる。
1958年:リトル・リチャードが、音楽業界から引退。
1958年:エルビス・プレスリーが、アメリカ陸軍へ徴兵。
1959年:バディ・ホリーが、飛行機墜落事故で死亡(享年22歳)。
1959年:チャック・ベリーが逮捕(1962年~服役)。
1960年:エディ・コクランが、自動車事故で死亡(享年21歳)。
スターが不在となったロック界は、その力を失っていく。
その代わりに、音楽業界のトップに立った音楽が、ポップ・ミュージックだった…。
しかし、ロックは時代が来るのを待っていた。
1960年代のロックは、こちら👇
最後に!
ロックが、どのように生まれて拡散されていったのか?というのは、何となく分かってもらえたと思う。
時代やジャンルを超えて、新しいことを生み出していくのは、いつも勇気ある人物がいる。
歴史を知る!ということは、そのような人たちに敬意を払うということなんだよね。
今、あなたが大好きなロックも、彼らの行動があってのこと。要は…。
ロックの生誕を知れば、ロックはもっと深まる!
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