イギリスの世界進出は、若者の2年間から生まれた!

ロック
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イギリスの世界進出は、若者の2年間から生まれた!

MICK
ミチヒサ

ギター大好き~ミチヒサだよ!

今日は、1960年代のロック(その1)について。

(このページは “音楽ロック編:Vol.4” になります)

・どうやって、1950年代のロックから再起したの?
・ロックが世界に広がった、きっかけは?

などなど…。

音楽ロック編:Vol.3では、ロックがどのように生まれたのか?という話しをした。しかし、若者の文化となったロックン・ロールは衰退していった

では、どうやって1960年代の、第二のロック・ムーブメントがやってきたのか?そこには、イギリスの社会変化が大きく関わっている。

難しいことは、聞きたくないって?でも、知っておいて損はないよ。あなたが聴いているミュージシャンも、多く出てくるからね。

分かりやすく話すので、大丈夫!だって…。

ここでは、私があなたの友達!

サウンドハウス

若者には、代弁者が必要だった!

エルヴィス・プレスリーが、エド・サリヴァン・ショーで「ハートブレイク・ホテル」を歌ったとき、ロックが若者たちの文化となった

彼が出演した最初の放送は、全米の視聴率が82.6%という数字を叩き出した!

しかし、ロックン・ロールは衰退していく(音楽ロック編:Vol.3参照)。

ロックン・ロールに変わって、次の時代に現れたのがポップ・ミュージックだった。ポール・アンカ、ニール・セダカ…。

確かに、彼らの音楽は支持された。次世代の、アイドルでもあった。しかし…。

若者たちの代弁者だったのか?

ロックン・ロールは、ビジネスへ変わっていった。金になると分かった大人たちは、ロック・ビジネスを展開していった。

売れることを前提にしたものに、ロックのエネルギーはない。彼らは、エルヴィス・プレスリーにはなれなかった…。

フォーク・ロックの登場!

若者たちが次に見出したのは、フォーク・ミュージックだった。社会性の強い深みのある歌詞、社会に媚びない姿勢は、若者たちの人気を得ることになる。

フォークの貴公子と呼ばれた、ボブ・ディラン!

人種差別問題、反戦等、社会問題に切り込んだ哲学的な歌詞。プロテストソングは、若者たちの代弁者となった

1963年に開催された、モンタレー・フォーク・フェスティバルで、その人気は不動のものとなった。

時代が若干前後してしまうが、ブリティッシュ・インヴェイジョンの影響もあり、フォーク・ミュージックは変わっていく

エレクトリック楽器を取り入れ、バンドを従えたフォーク・ロックの誕生だ。従来のファンは、この変化を毛嫌いしたが、結果的に新しいファンを得ることになる。

フォーク・ミュージックに足りなかった、ロックン・ロールのビートが、かつてのエネルギーを取り戻した。また、ロックのターニング・ポイントとなったのも、この辺りになる。

ブリティッシュ・インヴェイジョンとは?

一言で表すと、イギリス系バンドのアメリカ進出。その筆頭が…。

ザ・ビートルズ!

1962年、シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビュー。翌1963年、2ndシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が、メロディー・メーカー誌のシングル・トップ1位を獲得。

同年ファースト・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」をリリースし、30週にわたり1位を獲得。続く2ndアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」も、1位を獲得。

結果、2枚のアルバムで、51週間アルバム・チャートの1位を独占した

イギリスで、絶大な人気を得たザ・ビートルズは、1964年アメリカへやってきた。アメリカでリリースされたシングル「抱きしめたい」は、記録的なセールスをあげる。

ここから、数々の伝説を作っていく。

全米チャート100位に14曲がランク・イン。更に、チャート1~5位までをザ・ビートルズの曲が独占

24時間連続のラジオ放送や、5万人規模のライブ等、その勢いは正にイギリスの逆襲であった!

若者たちが熱狂したのは、そのファッションにもあった。洋服・髪形・靴・眼鏡等、独自のセンスもファンに受け入れられた。

更に、メンバー全員が、楽器を演奏しながら歌う!という形も、当時は斬新だった。

ザ・ビートルズの登場は、ロックの新しい時代を迎えた!

更なる、イギリスのアメリカ進出!

ザ・ビートルズの成功は、イギリスの音楽シーンに、多大なる影響を与えることになる。そして、後の伝説となるバンドが続々と誕生する。

ザ・ローリング・ストーンズ:リズム&ブルースをルーツに持つ、ザ・ビートルズとは対極にいるバンド。

ザ・キンクス:サウンド、生き様、全てがロック!多くのビッグ・ミュージシャンに影響を与えたバンド。

ザ・ヤードバーズ:後の、ハード・ロックの基礎を作り上げた。エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックも在籍。

ザ・アニマルズ:ブルース色が強いが、後に新たなロックの形を幾つも作り上げている。

ザ・フー:パワー・ポップと呼んだ、ハードなサウンドにキャッチーなメロディを融合。パンク、ハード・ロックの元祖とも呼ばれている。

ホリーズ:美しい三声ハーモニーと、キャッチーなメロディが特徴。サイケデリック色の強いサウンドも、披露している。

他にも、多くのミュージシャンやバンドがいるので、気になるようなら極めてみるのもいいだろう!

若者の2年間とは?

では、何故この時代に、イギリスから多くのロック・ミュージシャンが誕生したのか?これが、タイトルにもある、若者の2年間だ!それは…。

徴兵制の廃止!

イギリスの徴兵制が廃止されたのが、1960年。それまで、当たり前だと思っていた2年間の拘束。

それは、2年間の自由を手に入れたのと同じだ!

そこへ、アメリカからブルースやロックン・ロールがやってきた。社会の変化が、若者たちに2年間の自由を与え、若者たちは音楽を通して社会を変えていった。

結果、イギリスには多くのミュージシャンが生まれることになる。時代が、ロック・ムーブメントでなければ、今のロックは無かったかもしれない。

どちらにせよ、ミサイルや戦闘機の爆音より、エレクトリック・ギターの爆音の方がいいに決まっているけどね!

ソウル・ミュージックは、イギリスへの対抗馬!

音楽ロック編:Vol.3でも話したけど、リズム&ブルースは、ロックン・ロールとして成長し衰退していった。

ブリティッシュ・インヴェイジョンの波にのまれたアメリカだったが、リズム&ブルースは形を変えて、その地位を築いていた。

1959年、リズム&ブルースの素晴らしさを、白人にも理解して欲しい!という思いから、タムラ・レコードを設立。

翌1960年に、モータウン・レコード・コーポレーションが誕生した

モータウンの音楽は、リズム&ブルースのみならず、全米ポップ・チャートにもランク・インするようになった。

初のポップ・チャート1位は、マーヴェレッツの「プリーズ・ミスター・ポストマン」だった。

モータウン・サウンドは、リズム&ブルースに、白人音楽の要素を積極的に取り入れた。モータウン・サウンドの特徴と言えば…。

・複雑なアレンジはなく、あくまでもポップ。
・華やかで、軽やかなリズム。
・滑らかで、独特なメロディ。
・バック・ヴォーカルの多用。
・コール&レスポンス(掛け合い)の使用。
・管楽器や、エレクトリック・ギターの使用。
・清潔感のあるファッション。

モータウン・サウンドは大成功を納め、この頃からリズム&ブルースはソウル・ミュージックと呼ばれるようになった。音楽で、人種問題の壁を取り除くことにもなった。

もちろん、ビートルズにも劣らない人気を得たのは、言うまでもない!

サウンドハウス

最後に!

ロックン・ロールが衰退して、どのようにロックが復活したのか?というのは、分かってもらえたと思う。

代弁者を求めていた若者たちは、自分たちが代弁者になることで、世界を切り開いていった

そこには、あの2年間も大きく関与していた。

1960年代のロックは、これからもっと面白くなる。この続きは、音楽ロック編:Vol.5で紹介していこう!

ロックが、再び息を吹き返したのは…。

イギリスの世界進出は、若者の2年間から生まれた!

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