海を渡ったロックは、形を変えて舞い戻る!
ギター大好き~ミチヒサだよ!
今日は、1960年代のロック(その2)について。
(このページは “音楽ロック編:Vol.5” になります)
・ロックは、本当に音楽として認められたの?
などなど…。
音楽ロック編:Vol.4では、1960年代の第二のロック・ムーブメントについて、イギリスの社会変化の話しをした。
ロックがイギリスから渡米して、アメリカは激変した。それは、更に変化と新たな音楽を生むことになった。
ロックは、どのようにして大きくなっていったのか?激動の1960年代半ば~後半について、分かりやすく話していくよ!心配はないよ、だって…。
ここでは、私があなたの友達!
ロックに、国境は無くなった!
1964年に、ザ・ビートルズが渡米して、アメリカは一夜にしてロックが覚醒した。更に、ブリティッシュ・インヴェイジョンにより、アメリカは大きく変わっていった。
ボブ・ディランは、フォーク・ロックへ形を変え渡英。ジミ・ヘンドリクスを筆頭にした、アメリカン・ロックの登場。
更に、サイケデリック・ムーブメントが、今度はイギリスへの逆襲となる。
分離されていたイギリスとアメリカが一体化して、ロックは国境のない時代となった。
ロックは、芸術のひとつとなった!
ロックン・ロールが、ロックと呼ばれるようになったのは、芸術の仲間入りをした時だろう。
若者たちだけではなく、大人にも支持される。社会を巻き込み、様々なジャンルから賞賛を受けること。その最初が…。
ザ・ビートルズの「イエスタデイ」!
1965年にリリースされた同曲で、ロックとクラッシックの融合を図った。アルバム「リヴォルバー」では、ロックとインド音楽や電子音楽との融合。
そして、ロックが芸術の仲間入りしたアルバムが…。
「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
1967年にリリースされたアルバムは、ロック史上最高のアルバムと呼ばれた。
]架空のバンドが、架空の聴衆を前に演奏するという彼らの世界観は、1960年代の全てを音楽で描いている。
様々なジャンルの文化人たちからも、賞賛されたアルバムは、1960年代を後世に伝えるためのアルバム!と言わしめた。
ロックン・ロールはロックとなり、サブ・カルチャーではなく、クラシックや絵画等と同じ芸術の仲間入りを果たした。
ロックのエネルギーは、大人たちも巻き込んでいった!
若者たちの専売特許だったロックン・ロールは、大人たちも巻き込んでロックとなった。それは、ザ・ビートルズのアルバムだけではなかった。それは…。
ウッドストック・フェスティバル!
1969年8月15日~17日までの3日間、アメリカのニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた野外コンサート。30組以上のミュージシャンが参加し、40万人以上の観客を集めた歴史的なイベント。
このウッドストック・フェスティバルの凄いところは、ロック好きな若者たちが主催者!ということ。
その目的は、多くのアーティストたちが暮らすウッドストックに、レコーディング・スタジオを設立する資金集めだった。
当初は、1万人程度の規模だったが、多くのミュージシャンの出演が決まった。
結果、前売りだけで18万枚以上のチケットが売れた。実際は、40万人以上が入場したことで、ロックのエネルギーは無視できないものとなった。
出演した主なミュージシャンたちは、以下の通り。
ジミ・ヘンドリックス:エレクトリック・ギターの可能性を拡大した、史上最高のギタリスト。
ザ・フー:ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズと並ぶ、イギリス3大ロック・バンドの一つ。
クロスビー・スティルス&ナッシュ:3人のハーモニーとアコースティクな音作りだったが、後にニール・ヤングが加入してロック要素を強めた。
マウンテン:グランド・ファンク・レイルロードと共に、アメリカン・ハード・ロックの基礎を築いたバンド。
アメリカから、イギリスへの影響!
ブリティッシュ・インヴェイジョンにより、アメリカには新しいロックが誕生した。アメリカン・ロックは、シングルで表現するというより、アルバムという形でトータルに表現することになる。
フランク・ザッパ:現代音楽とブラック・ミュージックをルーツに多彩な要素を盛り込み、ポピュラー音楽として表現している。
ポール・バターフィールド:白人ブルース・ハープの第一人者と呼ばれ、アメリカにおけるブルース・ロックの先駆者。
キャンド・ヒート:デルタ・ブルースに憧れ、元祖クロス・ロード伝説を持つブルースマンのトミー・ジョンソンの代表曲から命名。
更に、アメリカ西海岸からサイケデリック・ムーヴメントが起こる。髪と髭を伸ばし、鮮やかな衣装に花を飾る。ヒッピーと呼ばれる若者たちが、大量に溢れた。
そんな若者たちに、愛や反戦等の独自の世界観を形にしたミュージシャンも登場した。
グレイトフル・デッド:アメリカを代表する伝説的なバンドで、ジャム・バンド界のゴッド・ファーザーと呼ばれている。
ジェファーソン・エアプレイン:サイケデリック・ロックの代表バンドで、1960年代のカウンター・カルチャーの象徴。
こうしたアメリカ発の音楽文化は、渡英したミュージシャンたちと一緒に、イギリスに多大なる影響を与えることになる。
ロックは、再び危険な時代を迎える!
音楽ロック編:Vol.3でも話したけど、1950年代末期に、ロックン・ロールは衰退した。この時は、エルビス・プレスリーを始めとしたロック・ミュージシャンが、シーンから去ったことが原因だった。
そして、何の因果か分からないが、1960年代末期にも同じことがおこってしまう。
1967年:ブライアン・エプスタイン(ザ・ビートルズのマネージャー)が、アスピリンの過剰摂取で死去(享年32歳)。
1969年:ブライアン・ジョーンズ(ザ・ローリング・ストーンズ)が、自宅のプールで溺死(享年27歳)。
1970年:ジミ・ヘンドリックスが、自らの嘔吐物により窒息死(享年27歳)。
1970年:ジャニス・ジョップリンが、薬物の過剰摂取のため死去(享年27歳)。
1970年:ポール・マッカートニーが、ザ・ビートルズから脱退。
エルビス・プレスリーやザ・ビートルズといった、世界を変えるミュージシャンは、今後現れることはなかった。
リーダー不在となったロック界だが、この数年前から新たなロックが芽生え始めていた。それらは、1970年代に一気に開花する。
最後に!
ロックは、遂に芸術の仲間入りを果たした。若者たちの音楽は、大人たちを巻き込んでいった。
イギリスで生まれたロックが渡米し、更にイギリスに戻ってくる。形を変えたり、融合したりしながら、ロックは大きくなっていった。
1960年代後半に新しいロックが生まれ、1970年代へ繋がっていく。若干時代が前後してしまうが、この続きは音楽ロック編:Vol.7で紹介していこう!
ロックの波は消えずに、常に大きくなっていったのは…。
海を渡ったロックは、形を変えて舞い戻る!
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