ロック・ビジネスの巨大化は、新たなロックを生む!
ギター大好き~ミチヒサだよ!
今日は、1970年代のロック(その2)について。
(このページは “音楽ロック編:Vol.9” になります)
・ロック・ミュージシャンの地位は、どう変わっていったの?
などなど…。
音楽ロック編:Vol.8では、社会の豊かさからロックが多様化する!という話しだったね。
世界は、戦後の社会混乱から立ち直り、人々の価値観は変わっていった。多様な価値観は、カリスマ的スターを生むことはなかったが、新しいロックを生み続けることになる。
ここでは、激変していく1970年代のロックを、分かりやすく話していくよ!心配はないよ、だって…。
ここでは、私があなたの友達!
巨大化するロック・ビジネスは、様々な変化を生む!
1960年代は、100万枚以上をセールスするアルバムというのは、一部のミュージシャンのみだった。
1970年代になると、ロックは巨大ビジネスとなっていく。100万枚以上をセールスするアルバムが、次々と現れる。
スタジオ・アルバムのみならず、ライブ・アルバムやサウンド・トラックまでもが、ビッグ・セールスとなる時代になった。
ロック・ミュージシャンの地位が、格段に上がっていったことで、社会や政治にも大きな力を持つようになる。音楽と言うアイテムを使って、自らのファンを動かすことができるからね。
一方で、このようなロック・ビジネスを嫌う者も出てきた。
本来のロックの本質とは何か?
更には、決まりきったロックからの脱却。イギリスやアメリカの枠に囚われない、新しいロックを生み出していく者が現れる。
華やかなロック・ビジネスの裏で、これらのロックは、新たな時代を作っていくことになる。
ロック・ミュージシャンの言動は、社会を動かす!
プロテスト・ソングは、古くから存在していたが、1960年代から活発になってきた。プロテスト・ソングとは、公民権運動や反戦運動といった、政治的抗議のメッセージを含む曲のことだ。
1970年代になると、多くのロック・ミュージシャンが、政治や社会問題に関して発言するようになる。その流れは、環境保護運動や社会的弱者の救済活動に実践を見出していくことになる。
ロック史上、初のチャリティー・コンサートといえば…。
バングラデシュ・コンサート!
ジョージ・ハリスンとラヴィ・シャンカール(シタール奏者)が中心となり、バングラデシュ難民を救済するためのチャリティ・コンサートを計画。
1971年8月1日、NYマディソン・スクエア・ガーデンで「Concert for Bangladesh」が開催された。
エリック・クラプトン、ボヴ・ディラン、リンゴ・スター、レオン・ラッセル等のアーティストがノーギャラで出演した。
同コンサートは大成功を収め、数百万ドルの収益金が寄付されることになった。
このコンサートは同年12月に、ライヴ・アルバム『The Concert for Bangla Desh』としてリリースされ、1973年のグラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞している。
もう一つ紹介するとしたら、国際連合とポール・マッカートニーが中心となって行なった、カンボジア難民救済コンサート。
ワルトハイム事務総長から、カンボジア難民のために、ビートルズ再結成の依頼があった。
これは夢物語に終わったが、1979年12月26日から4日間。ロンドンのハマースミス・オデオンに、クイーンやザ・フー等、10組のアーティストを集めて行われた。
ロック・ミュージシャンによる難民救済の流れは、1970年代以降活発に行なわれるようになり、欧米を巻き込んで行われた「ライブ・エイド」等に繋がっていった。
ロックへの不満と社会不安から、新たなロックが生まれた!
1970年代中期頃には、ロック・ビジネスは当たり前となり、すっかり地位を得た形となった。高価な機材を使い、テクニカルな技奏を競い合っていたハード・ロックやプログレッシブ・ロック・シーン。
当時のロックは、若者の代弁者ではなかった。
そんなロック界に反発し、簡素なロックン・ロールへの回帰。更には、攻撃性・不良性・反社会性を与えたのが、パンク・ロックだった。
1972年、フェイセズの全英ツアーのオープニング・アクトに起用されたのが、ニューヨーク・ドールズ。
過激なパフォーマンスや、中性的なファッションが注目され、アンディ・ウォーホルやデヴィッド・ボウイらから絶賛されることになる。
当時は、スタジアム・ロック全盛期。多くのバンドは、演奏の機会すら持つことができなかった。そんな音楽的反抗心から、ニューヨーク・パンクは誕生した。
テレヴィジョン
ラモーンズ
ニューヨーク・パンクは、アンダー・グラウンド的ではあったが、イギリスに渡ると一変する。当時のイギリスは、労働党政権下の不況の時代。政治や社会的反抗が生んだ、ロンドン・パンク。
1976年に、ダムドがデビュー。続いて、セックス・ピストルズやザ・クラッシュがデビュー。
過激な音楽やパフォーマンスだけではなく、ファッションも若者に受け入れられ、ロック・シーンのトップに躍り出ることになる。
ダムド
セックス・ピストルズ
ザ・クラッシュ
ロンドン・パンクのファッションは、世界中に波及していった。
しかし、パンク・ファッションが、パリ・コレクションに使われるようになったことで衰退していった。
ジャンルを超えるジャンル?
パンク・ロックは、ある意味ロックの回帰的現象でもあった。
ロックは、様々なジャンルと融合してきたのは、以前にも話したよね。パンク・ロックと入れ替わるように、この動きが活発になっていく。
レゲエ等の民族音楽や、前衛音楽との融合。シンセサイザーの電子音を使った、エレクトロニクスの多用等々。これらを、まとめて…。
ニューウェイヴ!
ニューウェイヴのサウンドというのは、はっきり言えば存在しない。パンク・ロック・ムーブメント後に出てきた、1970年代後半の音楽の総称ということだね。
XTC
ディーヴォ
ブロンディ
トーキング・ヘッズ
パブリック・イメージ・リミテッド
ザ・ポリス
ジョー・ジャクソン
エルヴィス・コステロ
挙げれば、キリがないね(笑)。
ギターの常識を変えた革命児が出現!
ロックは、ギター・プレイの進化と共に成長していった。
そのスタートは、イギリスだった。エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、リッチー・ブラックモア、トニー・アイオミ…。
アメリカで評価されなかった一人のギタリストは、イギリスへ渡っていった。ロック・ギタリストの、最初の革命児…。
ジミ・ヘンドリックス!
その革新的パフォーマンスは、それまでのロックの概念を変えた。あまりの衝撃に、彼を超えるギタリストは現れない!とまで、言われていた。
ジミ・ヘンドリックスのデビューから、ちょうど10年後の1978年。奇しくも、ジミ・ヘンドリックスを生んだ国、アメリカから常識を打ち破るギタリストが登場する。
エドワード・ヴァン・ヘイレン!
一聴しただけでは、解読不可能なギター・プレイ。ソロやバッキングのプレイ、ドライなギター・サウンドは、それ以前のロック・ギターの常識を変えることになった。
では、何故エドワード・ヴァン・ヘイレンが、世界中で受け入れられたのか?
私は、2つの理由があると思っている。
次々と繰り出されるトリッキーな奏法!という革新的な部分と、それまでのロックのトラッドな部分を融合させたからだ。
往年のロック・ファンにも、キッズにも受け入れられたのは、この二面性が曲の中にあるからだろう。
そして、ギター・サウンドを含めたハード・ウェアの貢献だ。コンポーネント・ギターというヴィジュアルだけではなく、サウンドやハード面に於いても、以後のギターを大きく変えることになった。
エドワード・ヴァン・ヘイレンの登場により、1980年代のギター・プレイは、とてつもないスピードで変化していくことになる。
そして、数々のギター・ヒーローを生むことになる!
最後に!
1970年代は、ロックが細分化され、新たなロックが生まれては消えていった時代。しかし、そのエネルギーやソウルは、現在まで確実に受け継がれている。
ロック・ビジネスに翻弄され、その地位を得た者や、それらに背を向けた者。
激動の時代ではあったが、ロックというジャンルが、世界を動かす!というのは、紛れもない事実だ。
そして、ロックは新たな時代へ突入するのだが、この続きは1980年代のロックで紹介していこう!
1970年代のロック…。
ロック・ビジネスの巨大化は、新たなロックを生む!
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