イタリアの、プログレッシヴ・ロック!

ロック
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イタリアの、プログレッシヴ・ロック!

MICK
ミチヒサ

ギター大好き~ミチヒサだよ!

今日は、イタリアン・プログレッシブ・ロックについて。

(このページは “音楽ロック編:Vol.16” になります)

・イタリアのプログレッシヴ・ロックって?
・お薦めのアルバムを教えてほしい!

などなど…。

私は、イタリアのロックが大好きだ。きっかけになったのは、イタリアのプログレッシヴ・ロック・バンドだった。

フランク・ザッパを聴いた時に、彼の音楽が理解できなかった。もっと音楽を幅広く聴かなければ!と…。

その一つが、プログレッシヴ・ロックだった。のめり込んだ時にハマったのが、イタリアの音楽だった。

ここでは、イタリアのプログレッシヴ・ロックについて話していくよ!心配はないよ、だって…。

ここでは、私があなたの友達!

サウンドハウス

イタリアン・ロックの根源!

イタリアのロックを語るには、イタリア人に受け継がれてきた根源について知る必要がある!とは、言い過ぎかもしれないが(苦笑)。

イタリアのロックは、一言では言い表せられないほど個性が強い。これがイタリアンのロック・サウンドだ!と、言うのが難しい。

彼らの根源を調べてみると、その答えに近づけるかもしれない。イタリアの音楽と言えば…。

・バロック音楽(協奏曲・オペラ)
・カンツォーネ
・地中海音楽

それぞれについては長くなるので、またの機会にするけど、イタリア人の源になっているのは間違いない。

情熱的なイタリア人の感情を生み出したのは、これらの音楽の影響があるだろう。

一つ間違えば、赤面してしまうほどの人間臭さや、大胆で大袈裟な表現。これこそが、イタリアン・ロックの世界観と言える。

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最初のイタリアのロック・ミュージシャン!

イタリアン・プログレッシブ・ロックは、1970年代に入ってからになるが、イタリアン・ロックに限って言えば歴史は古い。

ミーナ・マッツィーニが、1959年にリリースした「ティンタレッラ・ディ・ルーナ」。邦題の「月影のナポリ」が、日本人には有名かな。

日本でのカンツォーネ・ブームとなった曲みたいだが、どう聴いてもロックン・ロールにしか聴こえない(笑)。

この曲の大ヒットによって、イタリアにロックの時代がやってくる。

1960年には、後にイタリアのエルビス・プレスリー、イタリアン・ロックン・ロール・キングとも呼ばれた、アドリアーノ・チェレンターノがデビュー。

1961年にリリースした「24バッチ」(邦題「2万4千回のキッス」)が有名で、ミーナ・マッツィーニと同じくイタリアのロックを牽引した。

ソロ・シンガーが主体だったイタリアのロックだが、徐々にロック・バンドもデビューしてくる。

1960年代の、イタリアン・ロック・バンド事情!

1960年代中頃以降になると、イタリアにもロック・バンドが登場する。ロックというよりはポップなサウンドで、英米のバンドのコピーに過ぎないところはあった。

当時のイタリアの音楽シーンは、英米のポップ・ミュージックの影響を受けていたので、ポップ・ミュージックが全盛期だった。

ディク・ディク

1966年シングル「1-2-3」でデビュー。ビート・ポップス風のスタイルの楽曲で、英米のヒット・ソングをイタリア語に翻訳して歌っていた。

イ・プー

1966年シングル「ヴィエニ・フォウリ」でデビュー。イタリアのポップス史上、最高のバンドとも呼ばれている。

ニュー・トロルス

1968年アルバム「センツァ・オラーリオ・センツァ・バンディエラ」でデビュー。サイケ・ポップ調で、時代を反映した歌重視のヴォーカル・アルバム。

エキペ84

1965年アルバム「エキペ84」でデビュー。ビート・ロック全盛期に、英米のロックをイタリア語でカヴァー。

イ・クエッリ

1966年にシングル「風と共に去りぬ」でデビュー。英米のヒット曲をカヴァーして人気を集めた、後のプレミエータ・フォルネリア・マルコーニ。

レ・オルメ

1967年にシングル「フィオリー・エ・コローリ」でデビュー。ビート・ロックと、サイケデリックの波にのったサウンド。

イギリスでは1960年代後半に、サイケデリック・ロックやプログレッシヴ・ロック・ムーブメントが勃発。

これにより、イタリアの音楽シーンにも変化が起こった。イタリア人に受け継がれてきた根源に、これらの音楽が影響を与えた。

シンガー・ソング・ライターのルーチオ・バティスティは、1969年にヌメロ・ウノ・レーベルを設立

セールスや人気を優先するレーベルとは違い、個人の自由な表現を優先するというコンセプトのもと設立された。

最初のイタリアン・プログレ!

ルーチオ・バティスティは、1969年に「ウナ」を始めとした実験的な楽曲を作った。アルバムに収録予定だったが、当時の所属レーベルに拒否されてしまう。

1971年に契約が切れたタイミングで、自身が作ったヌメロ・ウノ・レーベルへ移籍。同年7月に「8月7日午後」をリリース。

歌ものとインストゥルメンタルが半々で、イ・クエッリのメンバーがバックを固めている。イギリスのプログレッシヴ・ロックの雰囲気はあるが、物真似ではない実験音楽。

完成から2年も経ってしまったことで、アルバムの構想が前衛的ではなくなってしまったのではないのか?と本人は心配したが、6週連続チャート1位。1971年のイタリアでのセールス・ベスト10に入った。

イ・クエッリはヌメロ・ウノ・レーベルと契約して、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニと改名。1971年10月にリリースした、デビュー・シングル「九月の情景」が大ヒット。

後に、ピート・シンフィールドによって「甦る世界」という英語詞にリメイクされるが、イタリア語の響きが好きというファンも多い。

プログレ・サウンドへのシフト変更!

イギリスで起こったプログレッシヴ・ロックに影響を受け、イタリアのロック・バンドは方向転換を図る。

先にも話したイ・クエッリは、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニに改名して、「幻想物語」(1971年)をリリース。

このアルバムこそ、本格的なイタリアン・プログレの幕開けとなった

彼らに続くように、イタリアのロック・バンドは、続々とプログレッシヴ・ロック・アルバムをリリースしていく。

ニュー・トロルス「コンチェルト・グロッソ#1」(1971年:3rd)

レ・オルメ「コラージュ」(1971年:3rd)

イ・プー「オペラ・プリマ」(1971年:3rd)

ディク・ディク「ある女性にささげる愛の形」(1972年:4th)

エキペ84「ID」(1972年:3rd)

フォルムラ・トレ「夢のまた夢」(1972年:3rd)

イル・バレット・ディ・ブロンツォ「YS」(1972年:2nd)

イタリアン・プログレのニュー・バンド!

1971年以降、多くの新人バンドがデビュー。イタリアン・プログレ・ムーブメントは、この後1973~1974年をピークに多くの名盤が誕生する。

オザンナ「ファースト・アルバム」(1971年)

バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ「バンコ・ファースト」(1972年)

ラッテ・エ・ミエーレ「受難劇」(1972年)

アクア・フラージレ「アクア・フラージレ」(1973年)

アレア「自由への叫び」(1973年)

アルティ・エ・メスティエリ「ティルト」(1974年)

イル・ヴォーロ「イル・ヴォーロ」(1974年)

ピッキオ・ダル・ポッツォ「ピッキオ・ダル・ポッツォ」(1976年)

挙げればキリがないので、幾つかのニュー・バンドのデビュー・アルバムを紹介した。気に入ったサウンドが見つかったら、どんどん追求していってほしいね!

イタリアン・プログレ・アルバム10選!

私は、多くのイタリアン・プログレのアルバムを聴いてきた。10枚のアルバムを選ぶのは至難の業だが、まずは聴いてほしいアルバムを選んでみた。

プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ「友よ」

イタリア語の美しさ、卓越した演奏力、スケールの大きい楽曲は圧巻だ。「幻の映像」も名盤だが、イタリア語の方が好きだな。(1972年)

ムゼオ・ローゼンバッハ「ツァラトゥストラ組曲」

ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」をテーマにした、壮大でミステリアスなヘヴィ・シンフォニック・サウンドだ。(1973年)

バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ「ダーウィン」

静と動の緊張感、唯一無二の世界観は、イタリアン・プログレを代表するアルバムだ。フランク・ザッパを感じるところがあるのも、私のツボかな。(1972年)

イ・プー「ミラノの映像」

繊細であり、情熱的なサウンド。オーケストラとロックの融合は、見事としか言いようがない。イタリアらしい哀愁とは、まさにこのアルバムだね。(1972年)

アルティ・エ・メスティエリ「ティルト」

超絶な技術力とアンサンブルは全く無駄がなく、聴く者を圧倒するだろう。全てに於いて、バランスのよいアルバムだ。(1974年)

オザンナ「パレポリ」

幻想的で呪術的なサウンドは、同じイタリアン・プログレの中でも別格。アヴァンギャルドな魅力は、唯一無二だ。(1973年)

オパス・アヴァントラ「内省」

その名の通り、伝統と革新という相反する要素を融合させたアルバム。クラシックがベースだが、ここまで革新的で崇高なサウンドは他には見当たらない。(1974年)

フォルムラ・トレ「神秘なる館」

繊細でドラマティック、情緒豊かで魅力的なイタリアン・サウンド。プログレッシヴ・ロックには珍しい、トリオ・バンドだ。(1973年)

アレア「1978」

圧倒的な演奏力とアンサンブルに、力強い歌声。イタリア的な情緒を重ね合わせた、コンセプトもサウンドも真似のできない唯一のアルバムだ。(1978年)

イル・ヴォーロ「イル・ヴォーロⅡ」

リズムとメロディのアンサンブルが、とても美しく緊張感がある。トップ・ミュージシャンの集まりなだけあって、楽曲も演奏も素晴らしい。(1975年)

やっぱり、10枚は足りなすぎだった(苦笑)。

最後に!

イタリアン・プログレは、イギリスで起こったプログレッシヴ・ロック・ムーブメントに大きな影響を得て生まれた。

それらはサウンドだけではなく、ミュージシャン同士の交流といった面でも影響を受けていた。

イタリアン・プログレらしさとは?と、よく聞かれる。実は、これが一番答えに困る。

確かに、最初はイギリス・プログレの模倣だった。そこへイタリア人だけが持ち合わせた民族的表現が加わり、独自のサウンドが生まれた。

イギリス・プログレのような型ではなく、言い方を変えれば個性的で極端であり、もっと振り切ったところにある…

凄くクセがあって、情熱的でパワフル。サウンドや構成力に、常に圧倒されてしまう。

上手く言葉にできないのだが、ミュージシャンの数だけイタリアン・プログレのサウンドがある!と言っても、過言ではない。

聴く度に新しい発見があるのも、イタリアン・プログレの醍醐味なんだよね!

貴方も、そんなイタリアン・プログレの世界にハマってみては(笑)?。

イタリアの、プログレッシヴ・ロック!

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