私が影響を受けた、ギタリスト(Vol.1)!

ロック
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私が影響を受けた、ギタリスト(Vol.1)!

MICK
ミチヒサ

ギター大好き~ミチヒサだよ!

今日は、私が影響を受けたギタリスト(Vol.1)について。

(このページは “音楽ロック編:Vol.17” になります)

・ミチヒサさんが好きなギタリストは?
・どういった影響を受けたの?

などなど…。

私がロックに出会ったのは、5歳の頃。ピアノを少し習ったけど、サッカー大好き少年だったから、全く続くことはなかった。

あの時、続けていたら神童になったかな(大笑)。

聴く専門だったから、まさかギターを弾くことになるとはね…

ここでは、私が影響を受けたギタリストについて話していくよ!心配はないよ、だって…。

ここでは、私があなたの友達!

サウンドハウス

ギターを始めたきっかけ!

レッド・ツェッペリンを聴いて、ロックの世界に入ったわけだが、何故か楽器を演りたいとは思わなかった。

今思い出しても、その理由はよく分からない。サッカーが好きだった!というのを、理由にしている(汗)。

ギターを始めたのは、18歳の時

ギターを始めるきっかけになったのが、サッカーを断念した!というのも、何だか因縁めいたものを感じるけどね。

この話しは長くなるので、またVol.2の時にでも!

今回は第一弾として、私が影響を受けた5人のギタリストと、おすすめのアルバムを紹介しよう。

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エドワード・ヴァン・ヘイレン!

18歳でギターを始めるまで、ずっとロックは聴いていた。歌よりも、楽器の音色が好きで、特にギター・サウンドには拘りがあった。

そんな拘りを強く感じた!というか、いちギタリストとして最初に引き込まれたのが、エドワード・ヴァン・ヘイレンだった。

彼の魅力は、ギター・サウンド。ヴォリューム・コントロールひとつで、極上のディストーション・サウンドからクリーン・サウンドまでを表現。

あのサウンドの衝撃は、今でも忘れられないね。

ソロやバッキングに於ける、それまでの常識を打ち破ったプレイ。タッピングを含め、当時は解読不可能とまで言われた数々のアイデア。

正に、新時代のトリッキー演奏の革命児!

そこには、トラッドとコンテンポラリーを融合したプレイがあった。時代の架け橋となるには、十分過ぎるくらいの貢献度だ。

常識破りは、自らが作ったコンポーネント・ギターにもある。ヴィジュアルも含め、後のギタリストに影響を与えたのは言うまでもない。

エドワード・ヴァン・ヘイレンが現れなければ、今のギター界は存在しなかっただろう。それだけ彼の残した功績は、とてつもなく大きいのだ!

私が、ストラト・モデルに拘るのは、エドワード・ヴァン・ヘイレンの衝撃があったからなんだよね。

ヴァン・ヘイレン「ヴァン・ヘイレン」(1978年)

ヴァン・ヘイレン「1984」(1984年)

ヴァン・ヘイレン「ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース」(2012年)

ジェイク・E・リー!

どんなジャンルでも、ステージ・パフォーマンスって大事だよね。ギターを弾くようになって、益々それを感じるようになった。

当時、私はどんなギタリストを目指したいのか?どんな、ステージングをしたいのか?

そんなことを考えながら、沢山のライブ映像を見まくっていた。一際輝いてみえたのが、ジェイク・E・リーだった。

オジー・オズボーンのバーク・アット・ザ・ムーン・ツアーで、そのステージングがあまりにもカッコよくて!

更に、数々のトリッキーなプレイはジェイク・フェイクと呼ばれ、私は彼のプレイやステージングを真似ていた。

正に、私にとってのギター・ヒーロー!

オジー・オズボーンは、初代ギタリストのランディ・ローズが作り上げたが、1980年代のサウンドにフィットさせて成功させたのはジェイク・E・リーだ。

その後、ブルース・ベイズド・ミュージックに拘ったバッドランズを結成。派手なステージングは影を潜めたが、私のジェイク熱は冷めることはなかった。

ジェイク・E・リーの本音が、たっぷり聴けるバンドだったからね。

そう言えば、ジェイク・E・リーもストラト・モデル愛用者だ!

オジー・オズボーン「バーク・アット・ザ・ムーン」(1983年)

バッドランズ「ヴードゥー・ハイウェイ」(1991年)

レッド・ドラゴン・カーテル「レッド・ドラゴン・カーテル」(2014年)

ポール・コソフ!

ハード・ロックやヘヴィ・メタルを聴いていた頃は、ギタリストにテクニックや速弾きばかりを求めていた。

ロックの原点を追い求めていた時に、ブルース・ロックに出会った。様々なバンドを聴いたが、一聴してハマったのがフリーだった。

引きずるようなリズムに、気持ちや感情をたった1音で表現するギター。フリーのギタリスト、ポール・コソフ

テクニックや速弾きこそロック!と思っていた私に、とてつもない衝撃を与えた。

正に、ギターを泣かせるというお手本!

チョーキングやヴィヴラートは、ギタリストにとっての表現方法であるし、ギタリストの色が一番感じられる。

スロー・ハンドもテクニックの一つであり、ある意味テクニックの極みかもしれない。

ポール・コソフに出会って、ギターの奥深さを知ったし、ロックに対するアプローチも変わっていった。

ギターは顔で弾く!というのも、彼から教えてもらったのは言うまでもない。

フリー「ハイウェイ」(1970年)

ポール・コソフ「バック・ストリート・クロウラー」(1973年)

コソフ・カーク・テツ・ラビット「コソフ・カーク・テツ・ラビット」(1972年)

スティーヴ・ヴァイ!

フランク・ザッパのプレイが強烈過ぎるので、ギタリストとしては鮮明に残っていなかった…。
私が虜になったのは、ソロになってから。デビュー・アルバム「フレクサブル」は、ザッパ・イズムを継承しているので、めちゃくちゃハマった。
次作「パッション・アンド・ウォーフェア」は方向性は変わったが、ロック・ギター・インストゥルメンタル・アルバムのお手本となった。
正に、ギタリストのためのアルバム!
このアルバムの成功により、世界中のギタリストがロック・ギター・インストゥルメンタル・アルバムを続々とリリースしたからね。
エドワード・ヴァン・ヘイレンが歌もので勝負するなら、スティーヴ・ヴァイはインストで勝負する。
ステージングの凝り方は、フランク・ザッパ譲り。オーディエンスに、目一杯楽しんでもらう!というのは、とても大切だよね。
私はステージングにも影響を受けたが、長らく彼のモデルも使っていた。
スティーヴ・ヴァイ「フレクサブル」(1984年)

スティーヴ・ヴァイ「パッション・アンド・ウォーフェア」(1986年)

ヴァイ「セックス・アンド・レリジョン」(1993年)

トミー・ボーリン!

彼を称するときに、リッチー・ブラックモアの後釜とか、第四期ディープ・パープルのギタリストと言われる。

私が、初めて聴いたディープ・パープルのアルバムは「バーン」だった。タイトル・チューンに悶絶したことを、今でも思い出す。

普通は、そこから第二期に行くところだが、何故か第四期を聴いた。そこでギターを弾いていたのが、トミー・ボーリンだった。

音楽性は変わりつつあったが、アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」でディープ・パープルは別ものになった。

私にとって、ハード・ロックにソウルやファンク、更にはジャズのエッセンスも混じったロックが新鮮だった。

正に、ロックは自由だと教えてくれた!

伝説的なバンドを変えてしまったトミー・ボーリンに、私は不思議な魅力を感じた。それから、数々のアルバムを聴き漁っていく。

音楽性の広さは当然だが、躍動感あるプレイはトップ・クラス。何より、彼の恐ろしいまでのリズム感の良さには圧倒された。

常に自由に自分らしさを前面に出す!という私のポリシーは、トミー・ボーリンの影響があってのもの。

ビリー・コブハム「スペクトラム」(1973年)

ディープ・パープル「カム・テイスト・ザ・バンド」(1975年)

トミー・ボーリン「ティーザー」(1975年)

最後に!

今回は、私が影響を受けた5人のギタリストを紹介した。

こうして見てみると、ギターはストラト・モデルを使っている人ばかりだ。私が、ストラト・サウンドが好きなのが分かるな。

ポール・コソフは、レスポールだろ?って、声が聞こえてくるが、確かに彼のトレード・マークは、ギブソンのレスポール。

しかし、アルバム「バック・ストリート・クロウラー」のジャケットには、フェンダーのストラトキャスターを持った姿が写っている。

因みに、このストラトキャスターは、今はデイヴ・マーレイが所有しているんだよ。

それぞれ個性の違うギタリスト達だが、共通しているのは気迫というか、圧倒的な存在感なんだよね。

次回はVol.2と題して、私が影響を受けたギタリストを紹介するよ!

私が影響を受けた、ギタリスト(Vol.1)!

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